人間におけるマウントは、相手に対して優位性を言葉や態度で示す行為のことです。
知人・友人関係だけでなく、親子・兄弟でもよくありますよね。
私は以前、ウズラの卵を割っているときに、
「割り方が違う。そんなことも知らないの?」と、ののしられたことがあります。
貧相な顔なのに片眉あげての表情に、思わず爆笑しそうになりましたが、そこはこらえて・・・
知らないのは当たり前ですよ。
毎日ウズラの卵を割っているわけではないのだから。
ウズラの卵を食べるのは数年に一回程度。
回数が少ないうえに、それその動作自体に価値がないものを、いちいち流儀を覚えるほど暇じゃない。
パーティでウズラの卵を割るパフォーマンスをするならいざ知らず、馬鹿じゃないの?
そもそもマウントをとるのは「自分に自信がないから」で、少しでも優位に立ちたいから、まず相手のあら探しをする。
みっともないことです。
以前、講師が生徒に「自分の方が知識があると」マウントをとったことがありました。
当然叱りましたよ。大人が子供より知識があるのは当たり前ですからね。
そんなことで威張っていても何になるのでしょう。
さて、この話題を取り上げたのは、マウントをとられたからではありません。
その反対で、とてもすごい方がさりげなく言われたことが、お人柄を表してとても素晴らしかったからです。
昨夜、200人規模のミーティングに参加しました。
主催者はその道の先駆者で、その方の実績がすごすぎてちょっと引いてしまう参加者もいらしたわけで・・・
すると、主催者が
「ずっとそれだけをやってきたから、成果が出るのは当たり前です。
家具屋さんが自分がつくった家具を誉められて『自分はすごい』って言いますか?
僕は、家具をつくれません。だから、家具屋さんに対しては尊敬しかないですよ。
どなにことでも、他人と比べずに自分の道を究めていくしかないんですよ。」とおっしゃった。
この方を知ってから、四半世紀立ちますが、マウントをとったところを一回も見たことがありません。
自分もかくありたいと思います。