アドラー心理学では、「誰の責任か」の言葉をよく耳にします。
・・・責任の所在を明らかにしてから、責任のあるものが行動する・・・
なのですが、
日常はそこまで考えずに、思い込みや思い付きで行動することが多いと思いませんか。
たとえば宿題について。
講師が子どもの直接言い渡したものならば、やってこなかったのは子どもの責任です。
やってこないことで子供が怒られるのは当然で、それに対して親が文句を言う筋合いはありません。
でも、講師が親に
「ここの丸付けをしておいてくださいね。」と頼んだならば、これは講師と親の問題であり、それを放棄してしまうのは親の責任なのですね。
親子げんかの果てに
「子どもが何も言うことを聞かないので、親のやっていたことを全部子供にやってもらうことにしました。」というのは、親の責任放棄です。
それにより、「子どもが相手先に迷惑をかける。迷惑をかけた相手から怒られる、または責められた子供が反省する。」を狙っているのでしょうが、
迷惑をかけられた相手先のことを慮ることができているでしょうか。
たとえば集金。
集金があることは書面やメールで親に伝わっているはずです。
「子どもが言わなかったから、渡していない。」はあり得ません。
たとえば受験に必要な家庭学習。
保護者ガイダンスで説明し、書面でも渡し、面談で確認しているにも関わらず、親の関与が全くないものを提出する。当然ために学力も伸びない。
何のために保護者ガイダンスで説明しているのか。
それは親が関与しなければできないからです。
そうでなければ講師と子どもの間だけで済むので、こまでしつこく説明しません。
気分次第で責任放棄する。
私たちは、そういう親を「馬鹿親」と呼びます。